可能性。

東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ 日本代表 2 - 1 J選抜

やはり色々と、想いが深くなるような試合だった。
ゲームとしては前半と後半でややクオリティに差があった感は否めず、そういう角度で論ずるのもサッカーの見方であろうけれども、そのような観点の指すものによって冷やされるほど、このゲームの熱量は小さくなかったな、と思う。

ザッケローニの敷いた3-4-3の布陣は、今後の代表の方向性について、ひとつの明確でポジティブなチャレンジだったと思う。
特に中盤の4人、長友・長谷部・遠藤・内田という構成は、色々な意味で「日本らしさ」を強く意識させるものだ。それにしても遠藤の凄さか。鮮やかな直接FKももちろんなのだが、欧州組で構成されたユニットの中においてさえ、キープ力・展開力・アイデアが際立っている。他の誰とも替えが効かないという点では心配の種とさえ言える。
ただ前線の3枚を考えると、本田と前田であればどちらか1人で良いのでは、という気はしなくもない。個人的には前田のサイズに似つかわしくない軽やかなプレーというのが好みであるけれども、国際試合として考えると本田をセンターにおいて両翼を配する方が合理的には思える。岡崎も相変わらず良い。香川の復帰の状況次第でまた構成に変動は出るだろうけれど、2シャドーには若手にも面白い人材がいる。宇佐美しかり、永井しかり。ひょっとしたら宮市などの名前も挙がってくるかも知れない。色々と競争が出てくる事を期待。
逆に懸念材料としては3バックの構成、という事になるか。個別に広いエリアをカバーする機動力と強さを兼ね備えていないと、戦術的にはなかなか苦しいものがあるなぁ、という気もする。今野・吉田・槙野といった組み合わせもあるのかも知れないが、ここはしばらく試行錯誤しそうな予感がある。
前半、特にパスゲームの質において、代表はJ選抜を完全に凌駕した。この3-4-3をどう煎じ詰めるのか、あくまでもオプションに留めるのか、いずれにせよ楽しみが増えたな、という感じはした。

そして後半。
語る事はひとつしかないのだろうな。いや、あるにはあるんだけど、くっきりと思い出せる事がひとつしかないよな、と。

カズ。

ああ、すげえな、と。本当にすげえな、と思う。
1994年、あのジェノヴァダービーで挙げたゴールを思い起こさせる。
ヘディングの落としに反応して裏へ抜け出し、ゴールキーパーの左を抜いて、右のサイドネットに流し込んだ、あのゴールだ。
17年!もうそんなに経ったのか。
それにしても日本代表から日本人選手が得点するなんて、オフィシャルな試合ではいつ以来だろう。85年キリンカップでの読売クラブvs代表での戸塚哲也以来、という事はあるまいか。その試合では1-0で読売が勝利し「こんなに後味の悪い勝利はない」と選手達がもらしたと言うけれど、今回はしっかりと代表が勝利を収めた。でも将来、みんなが思い出すのは、ゲームの結果ではなく、やはりカズのゴールという事になってしまうのだろう。
日経のこのコラム。『生きるための明るさを』
こうした文章に滲む彼の「バランス感覚」は、ある意味でスポーツ選手らしくないとさえ映る。
いくつもの挫折と、苦闘と、努力と、継続と。そこから得た人生観なのだろうと理解はできるけれど、自分に置き換えて、そんな気持ちは持てるのだろうか、と問えば、やはり無理だな、と思わされる。
「カズの凄いところは、『持ってる』とか『スター』とか、そういう事よりも、今まで諦めずに続けてきた事だよね」と奥さんが言った。
そうなんだよね、と僕も思う。
執念、とも違う、どこか無邪気さを秘めた、プライドの高さを感じる。

「今さらカズかよ」「客寄せパンダかよ」と笑われる事は百も承知で、それでもピッチに立つ。どこかで疎まれている自分を意識しないはずがない。なのに、厳しい節制と自己への規律を課して、ひたすらにサッカーに挑む。今さら、挑む。

そうやって生み出されたゴールが、人の気持ちを動かす。
「心が震える」って、こういう感じか。

川口から前線へと出されたロングフィードに対してトゥーリオが岩政に競り勝つ。そのこぼれたボールに抜群のタイミングで反応して、ディフェンスラインのギャップを突き、裏へと抜け出る。視線と、わずかなシュートフェイクでずらし、キーパー東口の左肩口を柔らかく射抜く。
一直線にゴール裏へと向かう黄色に紺字の背番号「11」。
軽やかなカズダンスのステップ。夜空を突き刺さんばかりに力強く掲げた右手の人差し指。

ああ、すげえよ。やっぱすげえ。
日本代表からゴールを奪う44歳がここにいたよオマエラ。
ちゃんと見とけ。そして一生、忘れるな。

EURO SPORTS Live のコメンテーターはさらっと呟いたそうだ。
" National Treasure , MIURA." ミウラは国の宝だ、と。

この災害によって、本当にたくさんのものが失われ、今もまだ失われつつある。
ただそれでも、手の中に可能性は残っている。
サッカーで人は救えないかも知れない。
でも心の奥のほうに落っこちてしまっていた楽しさや喜びを思い出して、エネルギーにして、日々を乗り越えていく事は出来る。
どうやったって不安感は拭えない。拭えるような性質のものでもない。でもそんなもん、他人の責任に押し付けてギャーギャー喚いても、あるいは「復興支援」や「自粛」や「同情」や「犠牲」に仮託しても、自分の無力さにただ疲弊していくだけだ。心を削り取っていくだけだ。
そんな事より、まずやれる事をちゃんとやろう。誰かと一緒に仕事して、勉強して。とりあえず、一生懸命に。勝利か敗北かは二の次にして、心に情熱を吹き入れて、とにかく自分にできることを、ただあきらめずにやっていくしかないんだと。
そうやって、日常を前進させていく事だけが、僕らに出来る最善の事なんだと。
それはサッカー選手も僕らも、変わりないはずじゃないかと。

あらためて、そう思う。
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